小説や映画とか、ドラマとか、
有り得ないと思う程のLOVE STORYってある。
もし、もしも自分にそんなドラマチックな展開が起こったら、
そんな展開に舞い上がりそうになった時、
その展開の先に不安を考える自分は居ないだろうか。
恋だの何だのの先にある何か。
『愛』は感じるだろうか。
生きてく中で、誰もが皆、心に何かを抱え、
何が『愛』で、何が『恋』で、
どれをどう感じるかは皆其々で。
勿論、そこに感じる幸せも、求める有り方もヒト其々。
“このヒト”と決める難しさ、怖さ。
愛し抜く。信じ抜く。
~し続ける、~し抜く、とゆうのは簡単に言えるようで、
実際貫くコトはとても奇跡に近いと思う。
必ずしも、ヒトには裏側のココロがあるから。
これは夫婦や恋人だけの話じゃなくて、ある意味、
ヒトとヒトの間に芽生える『友情』も一種の『恋』や『愛』だと思う。
何かを分かち合えるヒトに出逢え、
今があるのは偶然でも何でもなく、
出逢って『恋』をした時からのお互いの「~し抜く」ココロだと思う。
どんなに近い間でも何もかもをおっぴろげに言い付けて、
見せ付ければいいなんてコトはない。
相手を、その大切な相手を、
そして大好きな相手の背景までも、どれだけ想いやるか。
“愛”は中々の曲者。