2011/03/23

現地の真実 3・11




昨日、とあるヒトに話を聞かせてもらえた。

3.11の翌日から一昨年まで、
宮城県の女川町に自衛隊と共に派遣されていた救命医。

白髪の50代のお医者さん。

そんな現役救命医の彼に驚く一方で、
大多数の救命医がその要請を断っているそう。

でも、そればかりは仕方ないのかなと思うが、
いや、しかし、それが救命医というものではないのだろうか?
それが彼等の手に宿った使命なのでは?

1週間、睡眠食事も儘なら無い状況で、
必死の救済から戻った彼が最初に言い放ったのは、

「救命は何も出来なかったよ。」

胸が締め付けられた。

救命医が何も出来ないというのはどれだけの苦痛だろう。

TVや新聞、ネットで観ている津波の爪痕なんかほんの一部に過ぎ無い。
彼から聞いた現地は壮絶の一言。遺体はボロボロ、バラバラ。
サメさえも寄って来ないんじゃないかという状況。

TVで放送されている死者8000人は確認出来たのみ、
有に2万人は超えているだろう、と…。

沢山の家屋と共に各建物の汚物も勿論流された。
匂いも酷く、瓦礫の山から微かな希望を抱いて掘り起こす毎日。
けれど、見付かるのは遺体ばかり。

「地震、津波は天災だからそれで亡くなるのは仕方ないんだけどね、
生きて病院まで届けた人を薬が無くて助けられなかった。
これは政府の対応が遅かった。こんな非常事態。
何よりも先に水と食料と薬の確保が必要不可欠なのに、
自衛隊の派遣とそれはセットじゃないといけないんだよ。」

原発の事故も重なり、政府は被災地を後回しにした。
薬さえあれば助かる人達を見送る日々。

「枝野さんが寝てないなんてニュースなんか要らないんだよ。
俺達はもっと寝れないんだから。」

「数日たっても、物資が行き渡らない。薬も届かない。
東京の安全な官邸で進んでる時間軸ではないのだ。
現地は毎秒変化してる。何の為の政府なのか。」


支援に来ていた米軍が一斉に青森へ退避した瞬間があったそうだ。

『本国からの命令で、放射能被害が明確じゃなさ過ぎ、
情報を得られないので、一度避難する様に。』との事だったらしい。


日本はふざけてるんじゃないだろうか、

現地で必死に1人でも多くの人を助けようと頑張ってくれているのは、
訳の解んない会見してる菅さんでも、
寝てない枝野さんでも、
東京のコンビニを視察してる蓮舫さんでもない。

自衛隊や救命医、現地の人達、他国の自衛隊なのだ。

けれど、その人達を国のトップに据えたのは紛れも無く私達だ。
私は選挙というモノに行った事がない。
きっとそうゆう人が沢山居ると思う。

国を変えるのは国民だ。

今回の震災と共に現政府の無能さを誰もが目の当たりにした。

国民として私は意識が変わる瞬間だった。

国民の意識が変われば、
国が変わる。
歴史が動く。

私達は、ただ非難するのではなく、学ばないといけない。

政治にしろ、原発にしろ、
きちんと向き合って何が善で悪で見分けなければならない。

自分で考え、
自分で動き、
自己を確立しないといけない。


「日本人」という素晴らしい人達が住むこの国が、
変わり始める事を祈りたい。

少なくとも、私は意思を変えれた。



後、彼が教えてくれたのは、

「今は衣料品はとても有難いと思うよ。
それから、下着。風呂に入れないからね。
歯ブラシも。
衛生面はキレイにしないとまた違う病気になるから。」と。


役に立たないと思った私の仕事で役立つ時が来た。



Yuuki

2011/03/22

HOPE



一昨日、友達が撮った一枚の写真。





光が射してた。
暗いニュースと節電で暗い街。
心が暗くなってるヒト達。

その隙間から懸命に何かを照らす様に。


私達の街は大丈夫。
祈りと共に希望がある。

PRAY FOR JAPANHOPE OF NIPPON 




Yuuki

2011/03/17

世界はこんなにあったかい



PRAY FOR NIPPON AROUND THE WORLD




NEVER, 
NEVER FORGET. 

TO OUR MIND. 

AND, 
ALWAYS IN THE FUTURE.







Yuuki

2011/03/16

皆の顔が見たいんだ





1番の取引先が仙台でもう復興を果たした。




私にはまだまだ大きな力が足らないけど、
元気な身体と不自由ないニホンの手とニホンの足がある。

大切なヒト達も関わるヒト達も、皆無事だった。
東京の私達がパニックでどうする。


私は不謹慎と言われても、皆の笑顔が見たい。

大切な人達と、今想うコト、これからのコト、
普段話さないコトを話すいい機会だ。
そのグループに影響力のあるヒトが居るなら、
何かを起こすにもいい機会だと思う。

こういう事柄は今でしかリアルに考えられない。
だからこそ、今を生きて次に活かさなければならない。

集まろうよ。
呑もうよ。
笑おうよ。
そして、ガンバロウ。

私達には今があるのだから。 



何より此れからを背負う子供達の為に。


それを考えられるヒトが日本に発たなければならない。


そして、
被災地ではない私達は経済をストップさせてはいけない。
これが被災地ではない私達の戦いだ。



I'm a FIGHTING WOMAN!!!




強い国、日本。
立ち止まらずに。




Yuuki

2011/03/12

3・11



東北地方太平洋沖地震で
被害に遭われた方々にお悔やみ申し上げます。
皆様の無事を心からお祈りします。
そして、被災地の1日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。




2011.3.11

皆さんの大切なヒトは無事でしたか?









INANNA/Yuuki

2011/03/07

大切なトキの想いが詰まった1着



2月19日 夢子の結婚式




ドレスのリメイクとヘッドドレス、ブーケ、式のお花やリングピロー、
ヴィジュアル面でのコーディネートをさせて頂きました。




ラストチェックを終え、届いたブーケも零れんばかりに美しくて、
〝今日〟という日がやっと来たことを実感。


まるで今にも踏み外しそうな階段を1つ1つ昇るような一時。




この扉が開いたトキ、その瞬間に泪しそうになるはず。

彼女のリクエストでバックには大きな大きなリボンを...
其のリボンで泪しそうな想いや、
溢れんばかりの幸せで高ぶる想いを、キュッと結ぶかの様に思えた。




久々に専門学校時代の友人達にも会った。
何も恐いモノが無くて、世界が自分達中心に回ってるとさえ思ったあの頃。

新卒で入社した会社の元同僚や上司にも会った。
何もかもがわかんなくて、何もかもに追われて、泣いたあの頃。
あの頃があるから、今行き詰ったトキ、また歩き出せる。




ヒトには誰しも背景があって、その連鎖が〝輪〟になる。


この〝今日〟という一時(トキ)が、次の時間(トキ)に繋がる。




馬鹿な様な毎日は、
いい日も悪い日も総てが
〝明日〟というこれからの為になる。





人生の1/4を費やしてやっと寄り添った路を
2人で彩付けて往けます様に...




Yuuki

2011/03/03

SHINBASHI BUGI UGI




今日の夜中、作業に疲れてふと付けたTV。
フジテレビで『NONFIX』という番組が放送されてた。


「新橋ブギウギ~酒とコダマと男と女」

65年間、親が死んだ日も旦那が死んだ日も休まず、
パブを切り盛りし続けている85歳のママのお話。

私が産まれるうーんと昔からコダマは新橋にあった。
ホントに凄い。

このママの“生きる”こそ“活きる”だと思う。




私達は、これからまだまだ、
幾段もの階段を登らなきゃなんない。
その中でたくさんの大変なコトはきっと山程。

けど、私達は先が見え無い程の路を歩いて、階段を登ってる。

其れが何より大変なコトなんだ。
だから何があっても大丈夫。
自分を信じて往くしかないからね。

たくさん自分の人生を彩付けよう。




私も歳を重ねた時、人生を“活きれてる”ヒトになりたい 

 

Yuuki